アトピーを嘆きながら時刻表のないバス停で「その日」を待つ

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ある日、ひとりの人物が
バス停のベンチに座っていた。

しかし、これがバス停だと
私はなぜ思えたのか。

バス停の標識もなければ
時刻表もないのに。

ただ道路の路肩のベンチに
腰を掛けるその人物は

「バスが来るのを待っています」

というのだ。

さらにこの人物はこういうのだ。

「これからどうなるんでしょうか」

「自分でもそれがわからない」

そして、こういってのけるのだ。

「その日を待っています」

バスが来る日を待っているというのだろう。

この人物は、

これからどうなるかわからず、

自分でもそれがわからない、

といいながら、

「その日をまっています」と、

平然というのだ。

おまけに、

バスの到来を教える時刻表もなければ、

バスにとって目印になる標識もないのだ。

しかし、

この人物はバスが来る日を待っている。

あなたなら、この人物をどう思うだろうか?

あなたなら、この人物にどう声をかけるだろうか?

 

さて、あなたは時刻表を持っているだろうか?

あなたが座っているベンチは確かにバス停だろうか?

 

あなたは来年の年末、

どうなっていたいですか?

そのために「いま」なにをするべきか?

ご存知ですか?

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アトピー解放心理セラピスト

ワタナベ勲

 

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